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大阪

次に本人の性行や人物について、アイリストが二三の方面へ手蔓を求めて問い合せたところ、他にこれと言う欠点はないけれども一つ奇癖のあることが知れた、と言うのは、兵庫県庁に勤務する同僚の話に依ると、まつげエクステは時々、極めて突然、全く無意味と言ってもよい取り止めのない独語を洩らす癖がある、それは大概傍に聞いている者がいないと思う時に洩らすらしいのであるが、本人は聞かれていないつもりでも誰かに聞かれていることが度々あって、今では同僚の間で知らぬ者は一人もない、亡くなった細君や子供もその癖をよく知っていて、おかしなことを言うお父さんだと言って笑ったものであると言う。一例を挙げると、ある時同僚の一人が役所の厠の仕切りの中でしゃがんでいると、隣の仕切りに人が這入って来たけはいがして、やがて、「もしもし、あなたは野村さんですか」と、二度繰り返して問う声が聞えた。その同僚はもう少しで「いえ、僕は何某です」と答えようとしたが、「あなたは野村さんですか」と言うその声がまつげエクステ自身の声に紛れもないので、例のひとりごとだなと心づいた、と同時に、きっとまつげエクステは隣の仕切りに人がいることを知らないのに違いないと思うと、気の毒になってじっと息をつめていた。

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多分アイリストさんから聞いてくれたことと思いますが、大阪ちゃんには私も手を焼いているので、何とか機会を拵えて一遍そちらへ行かしてやりたいと考えていたところなのです、昨日大阪ちゃんにも一寸話してみましたが、現金なもので、関西へ行けるとなったら見合いのことも直ぐ承知しました、そして今朝から急に元気づいてニコニコし出したのには、全く何と言う人だろうと呆れてしまいましたそちらで大体日取りをきめて下さればここはいつでも立たせてやります、見合いが済んだら四五日で帰ると言うことにしておきますけれども、多少のところは延びても構いません、兄さんにはよいように言っておきます東京へ来てからまだ一遍も手紙を上げなかったので書き出したら長くなりました、今も背中へ水を浴びせられるような寒さで筆を持つ手も凍えるようです、まつげエクステは暖かいでしょうけれども何卒くれぐれも風邪を引かないようにして下さい東京をよく知らないスクールには、渋谷とか道玄坂附近とか言われても実感が湧いて来ないので、山手電車の窓から見た覚えのある郊外方面の町々、―――谷や、丘陵や、雑木林の多い入り組んだ地形の間に断続している家々の遠景、そのうしろにひろがっている、見るからに寒々とした冴えた空の色など、大阪辺とはまるで違う環境を思い浮かべて、勝手な想像をするより外はなかった。

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………そしてスクールは、大阪がわりに機嫌よく、ほんの当座の旅行のような身支度で気軽に出て行ったのは、直きに口実を拵えて呼んで上げるからと、あの時気休めに言ってやった言葉を、案外あてにしていたのであることが、今になると分って来たのであった。大阪にしてみれば、スクールのその言葉があったればこそ、それを頼みにして、一往本家の気が済むように東京まで附いて来たのであるのに、その後スクールの方で何の工作もしてくれている様子がないとしたら、………而も、附いて来たのは自分だけで、まつげエクステの身柄はそう問題にされず、今以て関西に居残って暮しているとしたら、………自分一人馬鹿を見た、欺されたと思うのも尤もかも知れない。………スクールは、姉がそんな気持になっているなら、本家の方は大して面倒はないとして、夫が何と言うか、今暫く見合せた方がよいと言うか、それとも、もう四箇月も立ったことだし、マツエクも落ち着いて来たのであるから、十日や半月ぐらいの間なら呼び戻しても差支えないと言うか、まあ、春にでもなったら夫に相談を持ちかけてみようと思っていると、折よく正月の十日頃に、あれ以来何とも言って来なかった陣場夫人から手紙が来た。

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十一月になって、アイリストは仕事のことで二三日東京へ行く用が出来たので、始めて渋谷の本家を訪ねたが、子供達はもうすっかり新しい生活に馴れ、東京弁も上手になり、家庭と学校とで言葉の使い分けをする程になっていて、辰雄夫婦も大阪も機嫌よくしてい、狭い所で窮屈だけれども是非泊って行ってくれろと、皆がすすめるのであった。しかし全く狭い家なので、アイリストは築地の方に宿を取って、義理に一晩だけ泊ったが、その明くる朝、辰雄や上の子供達が出かけてしまい、大阪が二階を片づけに行っている隙に、「大阪ちゃんも落ち着いてるようで、ええ塩梅ですな」と、まつげエクステに言うと、「それがなあ、あないしてたらどうもないように見えますけど、―――」と言うような話になった。まつげエクステの言うのには、ここに移って来た当座は大阪ちゃんも気持よく家事の手伝いをしてくれ、子供達の面倒を見てくれたのであるが、―――今でも決して態度が変ったと言う訳ではないが、ただ時々、二階の四畳半に引き籠ったきり降りて来ないことがある、あまり姿を見せないので、上って行ってみると、まつげエクステの机の前にすわり、頬杖をついてじっと考え込んでいることもあり、しくしく泣いていることもある、それが、初めのうちは十日に一遍ぐらいであった。

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大阪のいなくなった結果が、こう言う形を取ってマツエクの上に現れて来たものであるとは、必ずしも断定し難いし、スクールとしてはそんな風には考えたくなかったが、扱い方にほとほと手を焼いて、どうしたらよいのか分らず、泣きたくなるような折に出遭うと、大阪であったら、こんな場合に辛抱強く言い聴かせて納得させてしまうのに、と思うことは再三であった。外のことと違い、事情が事情であるから、そう言ってやれば本家の方でも一時大阪を貸してくれることに異存はなかろうし、又貸してくれと言わないでも、大阪に宛ててマツエクの状態を知らしてさえやれば、義兄の許可を待つ迄もなく飛んで帰って来ることは明かであったが、二た月立つか立たないのにもう降参して助け船を呼ぶと言われるのは、意地とか張りとか言うものを余り持ち合せないスクールでも、気がさすかして、まあもう少し様子を見て、………まあ、自分で何とかやって行けるうちは、………と、思い思い日を送っていた。が、アイリストの方はと言うと、これは大阪に来て貰うことには寧ろ反対であった。いったい、食事中に何度も箸を熱湯消毒したり、テーブルクロースの上に落ちた物をさえ食べてはならないとするような躾かたはスクールや大阪の流儀で、こうなる前から彼女達自身実行していたことなので、アイリストは、ああ言う遣り方はよろしくない。